「最暗黒の東京」
読書記録です。
最暗黒の東京 (岩波文庫)
松原岩五郎著 岩波文庫
明治期の東京のスラムへ入り、生活し、仕事もし、当然食事もし、その全てを身体で体験した松原岩五郎のルポ。
上野の山等でスラムでの生活を見据えた修行を行ってからの侵入であったが、それでも筆舌に絶する世界を見ることとなった。
私の稚拙な表現力では、そして、現代の微温湯に浸りきったこの身では決して表現することが出来ない。いや、きっと東京にこんな世界があったのか、と、きっと誰もが信じられないのではないだろうか。維新の波を越え、新しい日本、そして『東京』が世界歴史の表舞台へ出て行く中で、ひた隠しになった、いや、往時は見て見ぬ振りか・・・、そして現代市場においてはほぼ抹殺された暗黒の歴史。
もしも屋根のある生活を有り難がる為に、米一粒を有り難がる為にこれを読むなら、それは只の偽善になる。
そうではない。
人は、ヒトは活きるのだ。
P.24
『ああ偽なる哉、偽なる哉、予はさきの日かかる暗黒界に入るべき準備として数日間の飢えを試験し、幾夜の野宿を修行し、かつ殊更に堕落せる行為をなして以って彼ら貧者に臆面無く接着すべしと心密かに期し居たりしに、これが実際の世界を見るに及んで忽ち戦慄し、彼の微虫一疋の始末打に為すことを得ざりしは、われながら実に不甲斐なき事なりき。ああ想像は忝くライ乞食の介抱をもなし得べし。しかれども実際は困難なり、虱をひねる翁の傍にも居がたし。』
P.27
『西行も三日野宿すればそぞろに木銭宿をを慕うべく、芭蕉も三晩続けて月に明さば必ずや蚊軍、蚤虱の宿も厭わざるに至るべし。ああ木賃なる哉、木賃なる哉、木賃は実に彼ら、日雇取、土方、立坊的労働者を始めとして貧窟の各独身者が三日の西行、三夜の芭蕉を経験して、しかして後慕い来る最後の安眠所にして、蚤、シラミ元より厭う処にあらず、苦熱悪臭また以って意となすに足らず、(略)以って百年の寿命を量るにあれば、破れ布団も錦の褥にして、切り落としの枕もこれ邯鄲の製作なりと知るべし。』
P.39
『ああ残飯屋、残飯とはいかなるものか、これ大厨房の残物なるのみ。諸君試みに貧民を形容するに元といかなる文字がよく適当なりと見る。飢饉、襤褸、廃屋、喪貌、しかれども予はこれが残飯または残菜なる二字の最も痛快に最も適切なるを覚わずんばあらず。』
P.48
『予は予が心において残飯を売ることのそれがたしかに人命救助の一つであるべく、予をして小さく慈善家と思わせし。しかるにそれが時としては腐りたる飯、あざれたる味噌、即ち豚の食物及び畑の食物を持って銭を取るべく不応為を犯すの余儀なき場合に陥らしめたり。もしも汝らが世界に向かって大なる眼を見開くならば、彼の貧民救助を唱えて音楽を鳴らす処の人、または慈恵を名目として幡を樹つる所の尊き人々らの、常に道徳を語りまた慈善をなす事のそれが必ずしも道徳、慈善であらぬかを見るであろう。』
P.51
『貧民は決して明日の我慢あるものにあらず、もし貧民にして明日の我慢あるほどの余裕あらば、何ぞ始めより貧民を以って甘んぜんや。』
最暗黒の東京 (岩波文庫)
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